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一途に、一心に -土佐手縞・福永世紀子-

この仕事をしていると時々、作品に恋をすることがあります。そう頻繁にある事ではないですが、他のどんな言葉よりもそう表現するのが一番しっくりくるのです。なぜ?と聞かれても、自分の中に説明できるような明確な理由はみつからない。ただただそれが愛おしい。私にとって福永さんの土佐手縞はまさにそのものです。

他のどんな織物にもない独特の風合いが、初めて見たあの時から頭を離れない。欲しい。もう売れるとか、商売はそっちのけで父に頼み込んで、問屋さんで分けて頂きました。手にするとどんな方なのか、是非一度お会いしたい。そんな気持ちが膨らんできて、ご無理を言って今回、福永さんの工房にお伺いしてきました。

福永さんの工房へ

工房にて

岡山から車で約1時間半。早明浦ダムのほとりにある、自然豊かな山間の住宅地の一角に、福永さんの工房はあります。

お着物姿でお出迎えして下さった福永さんはとても小柄で、笑顔の素敵な方。整理された工房には、糸車や資料がならび、中央に機が2台置かれています。

「写真はとってもいいけど、私はあまり写さないでね。」そう笑って仰いながら、一つ一つの工程を丁寧にご説明して下さいました。

丹波布との出会い

工房にて

1941年、高地で生まれた福永さんは学校卒業後デザインの道へ。そして29歳の時、織の道へと進みます。綴織の人間国宝、細見華岳さんのもとでの修業後、丹波布と出会います。

丹波布の、そして綿のもつ豊かな表情に、一瞬で心を奪われた福永さん。「こんな布を織りたい」そう決心してからは丹波へ移り住み、一途に一心に、ひたすらに木綿と向き合ってきました。そして1999年、故郷の高知へ移り住み、現在の工房(棉戯房)で作品作りを始めます。

*丹波布 現在の丹波市一帯(旧氷上郡青垣町)で手紡ぎの木綿糸と絹糸を用いて織られる織物。素朴な風合いと藍や茶を基本とした渋い色味が魅力。幕末から明治にかけて盛んに制作されたが、大正時代に入り急速に衰退した。昭和になり、柳宗悦等の尽力により保存会が発足され、現在も生産が続けられている。

糸をつむぐ

工房にて

福永さんの作品は全て、福永さんが綿花から紡いだ糸が使われています。

材料となる綿は、メキシコ綿やインド綿、米綿などを作品によって使いわけます。工房の縁側で糸車を回す福永さんの手から、糸が紡ぎだされていく様子はまさに魔法のよう。

「この糸車の調節が本当に微妙なの。だからどんなにお願いされてもこれだけはほかの場所にもってはいけないのよ」

その言葉の通り、本当に繊細で微妙な工程を自然体で行う福永さんの姿に、積み重ねてきた時間の長さを感じます。

綾織への挑戦

工房にて

土佐手縞の最大の特徴ともいえるのが、6・8枚の綜絖(そうこう)を使い織られる綾織です。

丹波布を始め、一般的に綿織物は平織が基本ですが、福永さんは独学で綾織を習得し、「丹波布の復元」だけではない、独自の作品作りを追求してきました。

何度も何度も草木の色を重ねた糸を機にかけ、糸と会話するように織り進める。そうして複雑に重なり合う糸が、一枚の布になる。福永さんの作品から感じる、不思議な色の広がりと風合いは、この綾織が一つの理由なのかもしれません。

最後に

福永さんを囲んで

一通りの工程をご説明して頂いた後、これまでに織られた裂見本(縞帳)を見せて頂きました。

どれも美しく、魅力的。気に入った作品の中から、幾つか制作のお願いと、岡山での個展の開催をお願いしました。

「限られた数しかできないから、気長に待ってくださいね」おそらく2~3年後、少し先の話なりますが、弊店での個展のお許しを頂きました。この素晴らしい織物を皆様にご紹介できる日が、今からとても待ち遠しい気持ちです。

福永世紀子 略歴

1941年 高知県生まれ。
1970年 29歳の時、織の道へ。綴織りの人間国宝、細見華岳氏の元で修業を始める。
1975年 丹波布に出会い、移住。丹波布の復元に取り組む。
1999年 故郷の高知に戻り、現在の工房(棉戯房)を構える。